アンディー・ウイディアム andy williams CD DVD 東京公演
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004/10/5更新

 Vol・9 クローディヌ・ロンジェについて・・ 


Claudine Longet

Claudine Longet / Claudine

A&M SP 4121
side1
(1)A man and a woman
(2)Here,there,everywhere
(3)Meditation
(4)Tu as beau sourine
(5)A felicidade
side2
(1)Wanderlove
(2)Hello hello
(3)Sunrise,sunset
(4)Until it's time for you to go
(5)My guy
クロ−ディンって美人、知ってる?きっと知らないでしょう。アメリカの国民的歌手(この言葉って日本人好きですよね)?アンディ・ウイリアムスのカミさんだった人なのです。が、どうしたわけか(確か、モデルあがりです)こうして歌い手(って言ったて、最高に上手い歌手ってやつでなく)になり、それもこのアルバムのプロデュ−サ−があの有名な(って言ってもまだ、この頃はそこそこでこの後に売れっ子になるのであるが)トミ−・リピュ−マですでに紹介のニール・セーランなどの渋いアルバムなどのプロデュ−サ−として富にフュ−ジョン好きな連中からは崇拝の眼差し(筆者もその一人であるが)でみられている人なのであるが、このアルバムはまだ、そんな彼、トミ−も若き時代であり、A&Mを創設したハーブアルパート も不思議な男ではないかと思うが、その着眼点の凄さは流石に眼をみはるところがある。クロ-ディンは生まれが実は筆者と同じ頃(だいたいそうですよね、筆者が好きだった連中は)1942年1月29日生まれであり、もうばばあ(失礼!)になってはいるけど、やはり、諸外国ではこの年齢でもまだ、若い?立派に成熟した素敵な女性とみなされるのではなかろうか。そう特に日本人は所謂ジャリタレ(こうした言い方すると怒る連中もいるであろうが)しかTVなどでは取扱わずってところが多いので年齢制限なしに長続き(ましてやこのジャンルの世界においては)させるには難しさがあるが・・・。世の中こうした小粋な洒落が判る人々がもっといてくれると嬉しい。'64年の作品でA&Mって会社はこうした粋なポップな作品をかなり作っていた。ちょっと今日からそんな作品を紹介してみたいと思う。HPから添付。





Claudine Longet / The look of love

A&M SP 4121
side1
(1)A man and a woman
(2)Here,there,everywhere
(3)Meditation
(4)Tu as beau sourine
(5)A felicidade
side2
(1)Wanderlove
(2)Hello hello
(3)Sunrise,sunset
(4)Until it's time for you to go
(5)My guy


クロ−ディンって美人、知ってる?きっと知らないでしょう。アメリカの国民的歌手(この言葉って日本人好きですよね)?アンディ・ウイリアムスのカミさんだった人なのです。が、どうしたわけか(確か、モデルあがりです)こうして歌い手(って言ったて、最高に上手い歌手ってやつでなく)になり、それもこのアルバムのプロデュ−サ−があの有名な(って言ってもまだ、この頃はそこそこでこの後に売れっ子になるのであるが)トミ−・リピュ−マですでに紹介のニール・セーランなどの渋いアルバムなどのプロデュ−サ−として富にフュ−ジョン好きな連中からは崇拝の眼差し(筆者もその一人であるが)でみられている人なのであるが、このアルバムはまだ、そんな彼、トミ−も若き時代であり、A&Mを創設したハーブアルパート も不思議な男ではないかと思うが、その着眼点の凄さは流石に眼をみはるところがある。クロ-ディンは生まれが実は筆者と同じ頃(だいたいそうですよね、筆者が好きだった連中は)1942年1月29日生まれであり、もうばばあ(失礼!)になってはいるけど、やはり、諸外国ではこの年齢でもまだ、若い?立派に成熟した素敵な女性とみなされるのではなかろうか。そう特に日本人は所謂ジャリタレ(こうした言い方すると怒る連中もいるであろうが)しかTVなどでは取扱わずってところが多いので年齢制限なしに長続き(ましてやこのジャンルの世界においては)させるには難しさがあるが・・・。世の中こうした小粋な洒落が判る人々がもっといてくれると嬉しい。'64年の作品でA&Mって会社はこうした粋なポップな作品をかなり作っていた。ちょっと今日からそんな作品を紹介してみたいと思う。HPから添付しました。





クロディーヌ・ロンジェ

Claudine Longet


ウエストコースト・ロックの歴史は言うまでもなく、多くの音楽家や音楽関係者たちの才能と努力の積み重ねによって築かれたものです。しかし、時には才能や努力以上に、偶然というものの持つ力が大きな影響を与えたと思われることがあります。そんな偶然の中から今回紹介するのは、有名な歌手であるアンディ・ウィリアムズの結婚相手がフランス人だったという偶然です。

クロディーヌ・ロンジェは1942年にパリで生まれました。幼い頃から子役としてテレビや演劇で活躍していたそうです。アンディ・ウィリアムズと彼女の出会いはこの頃のことで、おそらくはアンディが渡仏してテレビ出演した際に共演したのがきっかけと思われます。その後、ロンジェが1961年にラスベガスの舞台に招かれた際にアンディとの再会を果たし、直後に二人は結婚しています。


結婚を機にアメリカに腰を落ち着けることになったロンジェは、結婚当初は主婦業に専念する為に芸能界を退きますが、1964年頃から少しずつアメリカのドラマに出演するようになりました。そして、出演作のひとつである『Run For Your Life』の主題歌を彼女が歌うという話が持ち上がります。これは単に出演女優が番組主題歌を歌うというよくある話だったはずなのですが、ここで登場するのが歌手である夫のアンディ・ウィリアムズです。

本職の歌手であるアンディはロンジェの歌を聴くとすぐさま、「彼女には本格的に歌手活動をやっていくべき個性がある」と気づきました。そして友人であるハーブ・アルパートに彼女の歌を聴かせると、アルパートも彼の意見に同意。こうして1966年にロンジェは歌手としてA&Mと契約を交わすことになります。

ハーブ・アルパートは、サンドパイパーズをヒットさせたトミー・リプーマにロンジェのプロデュースを任せます。リプーマはサンドパイパーズの時と同様、友人のニック・デカロをアレンジャーに起用してレコーディングを行いました。こうして1967年に発表されたロンジェのデビュー・アルバム『Claudine』は、シングルがさほど売れなかったにもかかわらずゴールド・アルバムに認定されるヒット作となりました。彼女の作品は大人のリスナーに支持された為にこのような現象が起きたのだと思います。


リプーマデカロが作り上げたロンジェの音楽は発想としては極めて安直なもので、フレンチ・ポップスとボサノバとアメリカン・ポップスをひとつのアルバムに混在させるというものでした。フレンチ・ポップスという素材は、言うまでもなくロンジェがフランス人であることから発想したものでしょう。ボサノバという要素は彼女のささやくような歌声によくマッチするので、リプーマとデカロの慧眼を誉めてあげたいところですが、じつは『Run For Your Life』の主題歌がボサノバのカヴァーだった為に、それを継承したに過ぎないと私は推測しています。

元々リプーマとデカロはフレンチ・ポップスやボサノバの作り手ではありません。ボサノバの方は当時アメリカでも流行っており、A&Mにもセルジオ・メンデス&ブラジル66というボサノバ・アーティストが在籍していましたから(ロンジェの作品にも参加)、それほど場違いな音楽ではありませんが、フレンチ・ポップスの方は完全に門外漢が見よう見まねで作ったという感じです。門外漢がフレンチ・ポップスの物真似をしようとして上手く消化し切れず、アメリカン・ポップスと混じり合ってしまった結果として出来上がったのが“A&M流ソフト・ロック”であると私は考えています。

1970年までにA&Mから5枚のアルバムを発表したロンジェは、A&Mの洒落たアレンジと彼女自身の魅力的な声、そして英語とフランス語の使い分けを駆使した歌唱によって聴き手を魅了し続け、ロジャー・ノコルズ&ポール・ウイリアムズの楽曲を最初に採り上げるなど、ソフト・ロック史に大きな足跡を残しました。1971年にはアンディ・ウィリアムズが設立したバーナビーに移籍、引き続きニック・デカロをスタッフに迎えて2枚のアルバムを残しています。しかし、アンディとの結婚生活はバーナビーへの移籍と前後して破綻しています。


アンディとの離婚後も、彼のファミリーの一員としての芸能活動はしばらく続きましたが、1974年にロンジェが新恋人としてスキー選手のスパイダー・サビッチと付き合い始めた為にその関係も終わりを迎えることになりました。そして、悲劇が訪れます。

1976年、ロンジェは銃の暴発事故を起こし、サビッチが死亡してしまったのです。殺人か過失致死かということでマスコミ報道は過熱し、当時のアメリカはたいへんな騒ぎになったようです。裁判の結果、過失致死と審判になったのですが、殺人ではなかったにせよ実刑判決であることには変わりなく、彼女の芸能活動には完全に終止符が打たれました。現在のアメリカではクロディーヌ・ロンジェと言えば、女優・歌手としての活躍よりも、その事件のイメージの方が強いのだそうです。

美貌・演技力・歌唱力と3つの才能に恵まれたロンジェでしたが、残念ながら男運には恵まれなかったようです。


アルバム・ガイド

  • Claudine (1967)
  • The Look Of Love (1967)
  • Love Is Blue (1968)
  • Colours (1969)
  • Run Wild, Run Free (1970)
  • We've Only Just Begun (1971)
  • Let's Spend the Night Together (1972)
   HPから添付しました。  
            



       Vol・9       

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