アンディー・ウイディアム andy williams CD DVD 東京公演
アンディーウイディアムの世界
 

index Vol.01 Vol.02 Vo.03 Vol.04

Vol.05

Vol.06 Vol.07 Vol.08 Vol.09
Vol.10 Vol.11 Vol.12 Vol.13 Vol.14 Vol.15 Vol.16 Vol.17 Vol.18 Vol.19
Vol.20 Vol.21 Vol.22 Vol.23 Vol.24 Vol.25 Vol.26 Vol.27 Vol.28 Vol.29
Vol.30 Vol.31 Vol.32 Vol.33 Vol.34 Vol.35 Vol.36 Vol.37 Vol.38 Vol.39

 


  Vol.  アンディの足跡(記録)について

動画です。更新をクリックすると再度動画に・・・



■映画・砲艦サンパブロから「愛し合った二人

Anndhi williams Biographi

     

Anndhi williams Biographi
4

■Birthday; 1927年12月3日。
■Children: Noelle・Christian・Bobby。
■pets: 3German Short-haired Pointers:Cody、Sophie、and Molly。
■Other :アンディは美術収集家でもある。ピカソ、ジャクソン、ポラック等・・・
アンディは現代アートと古美術のコレクターでもある。ハリウッの実家にはアメリカ20世紀の画家の作品が飾られている。またアメリカン・インデディアンの織物のコレクターでもある。50枚の織物をサンディエゴのデヤング・コレクションの預けて居る。他に着物、アート、蒸気機関車などのコレクションもあるとか・・。
■Golf:。 アンディは20年間「アンディ・ウイリアムス・サンディエゴを主催している。

1968年から公式トーナーメントの「アンディ・ウイリアムス・サンディエゴ・オープン・ゴルフ・トーナーメント」を主催、そのオーナーメントの収益を生物学の研究団体に寄付している。

バスケット・ボールでは、アンディはナショナル・バスケット・アソシエーションのフェニックス・サンの大株主

テニスではテキサスのウッドランズでアンディ・ウイリアムス・ワールド・ダブル・テニス・チャンピオンとプロ・スポーツ界との交流に懸命である。

■Siblings: 3人の兄弟と1人の姉妹:Bob、Don、Dick、ジェーン。
■Residences: Palm Springs、CA and Branson、MO
■Birthplace: Wall Lake 、Iowa。
■Married: Debbie(formerly Haas)
■Moon River Theater 1992年、5月1日、1200ドルで最先端のシアターをオープン。(ミズリー州)









Anndhi williams Biographi
4

■AMDYの足跡をたどる・・・・

■Birthdayは・・・・・・・・
アンディ・ウイリアムスは1930年(ずっと解説には1930年になっていたが1927年が正しかった)12月3日、アイオワ州ウォール・レイクに生まれた。アンディが8才になった時、父親のジェイ・ウイリアムスは、町の教会の聖歌隊を勤めるために、一家総出の家族コーラスを計画した。父親と母親、リチャード、ロバート、ドナルドの3人の兄たちと計6人。これがアンディのショー・ビジネスの道への第1歩である。
■ウイリアム・ブラザースは・・・・
やがて一家はアイオワ州の首府Des Moines(ダ・イモ)に移り、ここで4人兄弟のウイリアム・ブラザースは、同地おWHO放送に出演、プロのコーラス・グループとして、正式にデビューする事になる。その後、シカゴ、シンシナティ、等の放送への出演が、一家がカルフォルニアに引っ越すまで続いた。
■ケイ・トンプソンと・・・・
やがて始まった第2次大戦の為リチャード、ロバートの2人が戦地に赴き、ウイリアム・ブラザースは1時解散、アンディはロス・アンジェルスのハイ・スクールに通った。戦争が終わって、兄たちが除隊して顔をそろえると、再びチームを組、1946年にはコメディエンヌのケイ・トンプソンと組んで、ナイト・クラブなどに出演する。
■解散・・・・
それから6年間は、全米のみならず、ヨーロッパにも渡って各地で大好評を博した。
1953年、3人の兄たちが芸能界から引退を希望、評判の良かった”ケイ・トンプソンとフォア・ウイリアム・ブラザース”は解散する事に。この時アンディは歌を続けるか迷い、小さい得意だったテニスのプロ選手にと思った事もあったとか。
■スティーヴ・アレン・ショー・・・・・
しかし、アンディは歌こそ生命と悟って、遂にそろ・シンガーとして決意したのである。翌年、アンディはニューヨークに進出。たまたまオーデションを受けた、TVの人気番組「スティーヴ・アレン・ショー」に出演が決まると言う幸運に恵まれた。その上、2週間だけのはずだった契約が、2年もの長期にわたると言うラッキーに恵まれ大変な好評を得たのである。

■ケイデンス・レコード・・・・
この出演が決まった直後、「ケイデンス・レコード」とも契約した。「カナダの夕陽」「ハワイの結婚の歌」「聖ベルナデットの村」などのミリオン・セラーを続々と飛ばした。1958年の夏、ヘラルド・トリビューン紙は、当時全盛を極めたパット・ブーンとアンディの比較論を取り上げ、アンディに軍配を上げ、人気はますます高まったのである。
CBS・コロンビア・レコード・・・・・
1961年、アンディはケイデンスからCBS・コロンビア・レコードに移籍。すぐに「だにー・ボーイ」のヒットを飛ばし、ついで「ムーン・リバー」「酒とバラの日々」など、映画音楽を主として売り上げ、100万ドルを超すミリオン・ダラーLPを続々と出す好調ぶり。しかもケイデンス時代に録音したテープをすべて買い取って、CBSで再発。これがまたベスト・セラーのなる。
■彼女は億万長者
TVショーの他に「彼女は億万長者」で映画にもデビュー。同じCBSの人気歌手ロバート・グレー、サンドラ・ディー、モーリス・シュバリエなどと共演し、好評をえる。1961年、フランスで知り合ったったパリジェンヌのクロディーヌと結婚。奥さんは歌手としても活躍。









Anndhi williams Biographi来日は・・・・
4

■コンサートに参戦・・・・


来日・・・・
アンディは1967年、1970年、1973年、1982年、1991年来日しています。
もしかして他に来日しているかも知れませんが・・・・・。確か私の記憶が間違って居なければ1991年は「紅白歌合戦」に出場していと思います・全てツアーの参戦しました。
1967年はヘンリー・マンシーニーと・・・・・・・・
1967年はヘンリー・マンシーニーとのコンサートでした。初めての生のアンディのコンサートは最高に感動でした。
1970年はオズモンドブラザースと・・・・・・
1970年は確か「武道館」。オズモンドブラザースと一緒でした。夢にまで見たレアなアンディで感動した事を思い出します。大阪の万博の頃で、確か武道館だと。参戦の時は興奮で良くわからなかったのですが、後にメディアで、声は出ない、迫力はないとかでアンディの不調が伝わってきました。一説に寄ると家庭の不和、身体のコンデションも風邪が抜けきらず最低な状態のようでした。

1973年の3度目・・・・・・・
1973年の3度目の来日は「よみがえったあの温かな声というキャッチ・フレーズ」と言われ初めて大阪フェスティバル・ホールで初めてのライブ・レコードを出すほどの快調のアンディでした。彼は完璧主義で、取り直しの利かないライブを出す事はよっぽど自信がないと、ライブ盤など出さないと言われ、デモテープを送って、アンディが即OKを出したと言われて居るの、このライブには相当の自信が有ったと思われます。このライブ盤を聴いて居てもそれがわかる程です。

1982年は4度目・・・・・
1982年の4度目のライブはアンディもこのとき「57才」。余り若くない彼は、円熟味を帯びた素晴らしい大人のコンサートでした。マッカサー・パークの高音のエンディングの声が出なく、一緒の女性が最後の高音のエンディングをカバーしていたのが印象的でした。他にはフジTVなど、何度か出演したのを観た事があります。









Anndhi williams Biographi
4

クローディヌ・ロンジェにつて・・・・・・

クローディヌ・ロンジェにつて・・・・・・
確か歌手としても活躍していたと思う。アンディとクローディヌはフランスのパリの美術館で劇的な出会いはエピソードとしては有名で、1961年12月15日に結婚。何年間は”おしどり夫婦”として評判で、当時NHKで放映されていた「アンディ・ウイリアムスショー」でも中でも「うちのカミさんが・・」と連発していたとか・・。家庭でも三人の可愛い子供に恵まれ、( Noelle・Christian・Bobby )よきパパ・ママ振りを発揮していた。しかし1970年頃から2人は離婚のニュースが流れてきた。結局1976年に二人はついに離婚したのである。
サンキュー・ベイビー・・・・・
ところがその後クローディヌに起こった過失殺人事件で、アンディは裁の間の保釈金の支払い、長女のノエルと共に裁判で弁護するなどアンディが別れた妻のとった態度は当時アメリカの社交界として語られている。アンディは離婚後の1977年発売された「アンディより愛をこめて」のアルバムでは、クローディーヌの持ち歌の「サンキュー・ベイビー」が入っているのである。








Anndhi williams Biographi
4
■近況は・・・・・・・

1991年頃の事・・・・・
アンディのオリジナル新作「NASHVILLE・アフター・オール・ジス・タイム」1991年発売。(カーブ・レコード盤)が出た「CD盤」。が私のアンディのオリジナル・コレクションが最後である。この中のライナー・ノートに寄ると・・
NASHVILLE・「アフター・オール・ジス・タイム」1991年発売・・・・
アンディ待望の久々の新作、「NASHVILLE・アフター・オール・ジス・タイム」1991年発売。はベテラン歌手ならではのキャリアに裏うちされた、説得力あるバラードである。現在64才。アンディは新しく「CURB」レコードと契約。今後このレーベルでコンスタントにアルバムを発表していく予定だ。
ラブクラシック・・・・
コロンビア・レコードとは約20数年在籍後フリーになり、今回カーブと契約するまでの約10年間、東芝EMIから「ラブクラシック」。
クロス・イナフ・フォー・ラブ・・・・・
アトコから「クロス・イナフ・フォー・ラブ」の二枚のアルバムを出している程度である。二枚とも良い出来でアンディはまだまだ現役を立証した。







Anndhi williams Biographi
4
ANDYの魅力・・・・・・



アンディがポピュラーになった訳とは・・・
アンディのレパートリーには、オリジナル曲がほとんどない。ここに彼に秘密がある。映画音楽、スタンンダード・ナンバー、ミュージカル・ナンバーを取り上アンディはげ、親しみやすさを感じ、アンディ独自に世界へ引き込んでいく。どの歌詞に対してもアンディは適切な言葉の調子や感情移入している。フレーズごとの言葉使いも実に正確で念入りである。アンディがメローディや歌詞に対する完璧さは、彼の持っている素質の1つでもある。アンディは親しみやすいレパートリーを借り、言葉使いの中に彼のパーソナリティーを見せてくれる。彼のライブ。パフォーマンスには、ナイト・クラブ時代からTV時代まで鍛えた聴衆の心を引きつける呼吸が見事に修練されている。



日本語・・・・
それは隙のないエンターテーナーの顔と違うアンディの味である。たとえばTVでのショーで見せていた、茶目っ気タップリのダンス・ステップや軽いジョークなどに見られる、人柄の良さ、ほのぼのした優しさがライブ・パフォーマンスにあたたかみを加えていく。その呼吸が’決して計算されたとは思えない”聴衆を魅了するのである。「ある愛の詩」
「ゴット・ファーザー」は日本語に挑戦。1973年の日本公演では「五木の子守歌」も日本語で披露していた。きれいな日本語だった。この曲はアンディが日本でもっとも有名な歌手はと聞かれて、美空ひばりの五木の子守歌と言う事で、この彼女の歌で練習したとか・・。スペイン語、フランス語、イタリア語、そして日本語と何でも挑戦する姿勢は見事な世界のエンター・ティナーでもある。日本語盤のゴットファーザーは60万枚の大ヒットした。これはアンディのサービス精神とプロ根性の表れでもある。アンディが生まれながらに持っている一途な少年のような純朴さを感じさせる人でもある。







Anndhi williams Biographi
4

Andyの魅力は・・・・

音楽評論家は・・・・
あるアメリカの評論家は・・・
▲アンディは小さな町の良いところを都会へもってくる事が出来る。皮肉や腐敗したもの、計算された賢さに左右されず、それらを理解している。そんあ印象である。
■小さな町の良さ・・・・・
アンディのくったくのないスマイルは「小さな町」の良さにあふれいる。少年の」ような心を持った、さわやかな「小さな町の良さ」を伝えてくれる、永遠のアメリカン・トップ・ヴォーカリストである。









Anndhi williams Biograph
4

■ANDYのレコードデーター・・・・

●シングル・ベスト10入りは・・・
▲カナダの夕陽 7位(1956年9月29日)
△バタフライ 1位(1957年3月30日)
▲アイ・ライク・ユア・カインド・オブ・ラブ   3位(1958年7月15日)
△アー・ユー・シンシア 3位(1958年3月24日)
▲ロンリー・ストリート 5位(1959年11月9日)
▲聖ベルナデット村 7位(19601月25日)
△キャント・ゲット・ユースト・トゥ・ルージング・ユー 2位(1963年4月13日)
▲ある愛の詩 9位(1971年4月3日)


Andy williams Gold Disk・・・17枚


1・Days Of Wine And Roses   1963年 2・Days Of Wine And Roses   1963年
3・The Academy Award Winning Call Me Irresponsible 1964年 4・Christmas Album    1963年
5・The Wonderful World Of Andy Williams  1964年 6・Dear Heart    1965年
7・The Great Songs From My Fair Lady And Other Broadway Hits  1964年 8・The Shadow Of Your Smile  1966年
9・Born Free   1967年 10・Love, Andy   1967年
11・Honey    1968年 12・Merry Christmas
13・Happy Heart  1969年 14・Greatest Hit’s
15・Get Together With Andy Williams  1969年   16・Love Story   1971年
17・Love Theme from 'The Godfather'    1972











■世界残酷物語サントラジャケット

Anndhi williams Biographi
4
私とAndyとの出会い・・・・

世界残酷物語・・・・
1963年の封切られたイタリア映画「世界残酷物語」は目をそむけたなる様な残酷な実写をフィルムの収めたヤコペッティ監督のドキメンタリー映画。ショッキングな話題をよんだ。しかしこの主題歌「モア」だけは、甘く美しいメロディーで映画を観ている人々の心を優しく包んでkれた名曲だった。映画の記憶が消えてもこの美しい旋律の「モア」は曲だけは世界のいたる所で聴かれる様になったのです。リズ・オルトラーニ、ニーノ・オリビエロの共作した。英詞はノーマン・ニューエル。同時に曲名も「モア」に変わった。アンディの代表的ヒット曲でもある
モア・・・・・
私とアンディの出会いは、20代の頃「モア」という曲が好きであった。友達に「モア」を歌っている歌手はとたずねたら・・アンディ・ウイリアムスと答えたのである。早速レコード店に行ったら、アンディ・ウイリアムス・デラックス(日本コロンビア)2200円に「モア」がはいっていた。買い求め早速聴いてみた。衝撃的だった。他はヘンリー・マンシーニーの曲など全て選曲が良かったのである。このLPはオリジナルではなく日本コロンビアのオムニバスであった。この1枚で即アンディのファンになった。それから今度は過去のオリジナルアルバムを購入していった。それがアンディとの最初の出会いであった。
コンサート・・・
1967、1970、1973、1982年と過去4回コンサートに参戦した。1967年はヘンリー・マンシーニーと。1970年はオズモンドと、1973年はライブ盤、1982年はアンディが55才だった。「マッカサー・パーク」のエンディングンの高音が出ずに、コーラスの女性が高音のパートを歌っていたのが印象的であった。
アンディのHP・・・・
アンディのHPは資料集め、ジャケットの画像、CDのスキャナー取りとやく2ヶ月位かかる。曲目、解説はレコードのライナー・ノートを参考にあちらこちらかき集め、編集した。有名人の解説者の資料から拝借し、参考にした。アンディの一番の理解者は牛窪氏では思う。アンディの不調を最初に言い出したのが彼で有った。
USAのHP・・・・・
今年、アンディも77才。鳥ウイルスで公演が延期。アンディのHP検索で、やっとUSAのHPを発見した。それにはアンディの過去のディスコ・グラフィーが載っていたのである。
それで、彼のHPを作る結果になったのである。
バースーデー・・・・
アンディはずっと、ライナー・ノートでは誕生日は1930年と書いているが、USAのHP見て驚いた。なんとバースーデーは1927年と書いてあったのである。
このHPの画像・・・
アンディのLP・CDの画像は私の所蔵から使用しました。残念なのは、昔のアンディのLPは聴きすぎてノイズがすごくてもMDに収録した。出来るなら、昔のオリジナル・アルバムのCDが聴きたい。ノイズなしの・・・。「タワーレコド」でアンディのUSAのCDを発見したが、2枚のオリジナのカップリングであった。それもUSAに注文だから40日はかかるというが・・・・。










Anndhi williams Biographi
4
■月・川・猫・・・・・

MOON RIVER・・・・

 

ティファニーで朝食を・・・
NHKのTV番組「アンディ・ウイリアムス・ショー」のオープイング・テーマとしても使われいるあまりにも有名なスタンダード・ナンバーでアンディのてーま・ソングでもある、。1961年製作された映画「ティファニーで朝食を」の主題歌としてジョニー・マーサーが作詞、ヘンリー・マンシーニーが作曲した。同年のアカデミー主題歌賞も獲得した。この映画でオードーリー・ヘップバーンの名演技で、生ギター1本で、彼女が窓辺でムーリバを歌うシーンは印象的だった。
■ラスト・シーン・・・・・・・
映画のラスト・シーンで確かヘップバーンとジョージ・ペパードのラブシーンで2人の間に猫がいた。それで・・イラストも「「月・川・猫」なのである。











■君住む街角
      


index アンディ・ウイリアムスの世界トップページ
Vol・01 国内LP盤の紹介
Vol・02 国内・輸入CDの紹介
Vol・03 アンディの足跡(記録)について
Vol・04 輸入盤CDの紹介(米でのオリジナルLPのCD化)
Vol・05 ムーンリバーについて
Vol・06 アンディ・ウイリアムス・米・DVD・4枚紹介
Vol・07 1994年ブランソン・ムーン・リバー・シアターのライブ・(DVD
Vol・08 アンディ・ウイリアムス・ジャパンツアー・2004年
Vol・09 クローディヌ・ロンジェについて・・
Vol・10 アンディ・ウイリアムズ・ショー・DVD紹介
Vol・11 クリスマスライブ・DVD・紹介
Vol・12 国内で発売されているCD。
Vol・13 5枚組みCDの紹介。
Vol・14 2006年東京公演情報
Vol・15 アンディ・ウイリアムスの最新情報・・。
Vol.16 制作中です
Vol.17 アンディ・ウイリアム・歌詞の世界
Vol.18 東京公演 2006年 レポート
Vol.19

アンディ・ウイリアム・2004・ツアーHP NEW

Vol.20 アンディ・ウイリアム・ツアーレポート 2006 NEW
Vol.21 アンディ・写真集・1NEW
Vol.22 アンディ・写真集・2NEW
Vol.23 アンディ・DVD・紹介 NEW
Vol.24 アンディ・写真集・lLP紹介 NEW
Vol.25 アンディ・日本コロンビア・CBSシニー名義のLP紹介。NEW
Vol.26 制作中
Vol.27 アンディ・ウイリアムス・イン・ソウル・1981/5/6ライブ盤NWE
Vol.28 2006/2/12・中国ライブのポスターNEW
アンディー