アンディー・ウイリアムス  andy williams CD DVD 東京公演
 


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Vol.51 ダニー・ボーイ特集・動画集


■動画・ダニー・ボーイ・シリーズ・全6集完結
第1集 第2集 第3集 第4集 第5集 第6集・完

Danny Boy Ireland | Celtic Woman - Danny Boy  |  ナナ・ムスクリ | Kennedy plays


Andy Williams Live in London
1970

アンディ・43才・素晴らしい名唱を聞かせてくれます 5分


Danny Boy (London Concert in 1978)


Oh Danny boy, the pipes, the pipes are calling
From glen to glen, and down the mountain side
The summer's gone, and all the roses falling
'Tis you, 'tis you must go and I must bide.
But come ye back when summer's in the meadow
Or when the valley's hushed and white with snow
'Tis I'll be here in sunshine or in shadow
Oh Danny boy, oh Danny boy, I love you so.

But if you come and all the flowers are dying
If I am dead, as dead I well may be,
You’ll come and find the place where I am lying
And kneel and say an Ave there for me.
And I shall hear, though soft, your tread around me
And o'er my grave shall warmer, sweeter be
And you will kneel and whisper that you love me
And I shall sleep in peace until you come to me.
And I shall sleep in peace until you come to me.




「ダニー・ボーイ」は、もともとはアイルランドの街、デリーで生まれた「デリー・エア」のメロディ。それがイギリスのフレデリック・エドワード・ウェザリの手に渡り、メロディが彼の書いた詞にピッタリだということで、1913年に「ダニー・ボーイ」として発表され、まずはアイルランド出身の歌手ジョン・マッコーマックによってヒット。その後、第二次世界大戦中はビング・クロスビーによって人気が出ました。そのほか、多くの歌手によって、世界中で歌われています。
英語の歌詞では、出征する息子のことを想う親の歌になっています。哀切ただようメロディと、歌詞が胸にせまる名曲です






■DANNY BOYの謎に迫る素晴らしいHPです。リンクします。

BS−i(TBSのBS局)の「SONG TO SOUL」という音楽番組で
放映された内容とほぼ同じでした。


アイルランドの首都ダブリンから北アイルランド・デリー県へ。
そして「ダニー・ボーイ」のルーツであるリマバディへと・・素晴らしいの一語に尽きました。

原曲とされているアイルランド民謡の「ロンドンデリーの歌」の名で知られている「ダニー・ボーイ」。

■ダニーボーイの曲の由来・・・・ルーツはリマバディ

メロディそのものの発祥については、謎に包まれていますが・・しかしながら、こんな通説が利ます。

ローリー・ダール・オキャハンという盲目のハープ奏者が作曲したというものです。


彼は、優れたハープ奏者であり、しかも、この地方を治めた領主でもありました。

しかし、1608年にイギリスのジョージT世が彼の土地を奪ってしまいました。

オキャハンはとても哀しみました。
何世紀の間一族のものだったこの土地を失ってしまったからです。そして、彼はその嘆きを曲にかきました。

つまり・・その嘆きの歌が400年前に人々の心の琴線に触れ
いま「ダニー・ボーイ」のメロディとして、人々の琴線を震わせているのです。



■ダニー・ボーイのルーツを理解する中、ANDYはイギリスでのライブに5分という長いアレンジで歌った心が分かるように気がします。

偶然見つけたこの動画に、感動でした。1ファンとしてこのライブダニー・ボーイをCDに収録して欲しいとおもいました。

1970年は2度目の来日した年でした。


■放映されたダニーボーイをモチーフに動画にしました。




原曲はアイルランド民謡「ロンドンデリーの歌」。盲目のハープ奏者・オキャハンが曲を作り、一人のフィドラー、ジミー・マッカリーが奏で、このメロディを採譜したジェーン・ロス、歌詞をつけたフレデリック・ウェザリ-(1912)曲のルーツはデリー県の小さな町リマバディ。
なき人へ、はるかなるふるさとへ、親が吾が児を思い400年の月日を経て歌い継がれた名曲.。




北アイルランドの小さな町で・・一人の盲目のフィドラーが奏で一人の音楽教師が採譜したメロディ。
作曲は盲目のハープ奏者ローリー・ダール・オキャハン。戦場へ赴く息子ダニーに送る
愛しい愛に溢れた名曲。ダニーボーイの故郷,デリー県
リマバディから400年の年月を経て今に歌い継がれた素晴らしい曲。








原曲はアイルランド民謡「ロンドンデリーの歌」。
盲目のハープ奏者・オキャハンが曲を作り、一人のフィドラー、ジミー・マッカリーが奏で、このメロディを採譜したジェーン・ロス、歌詞をつけたフレデリック・ウェザリ(1912)曲のルーツはデリー県の小さな町リマバディ。

フィドラーのジミーは歌詞の発表される2年前に、80才で永眠したという。
400年の月日を経て歌い継がれた名曲.。






原曲はアイルランド民謡「ロンドンデリーの歌」。
盲目のハープ奏者・オキャハンが曲を作り、一人のフィドラー、ジミー・マッカリーが奏で、このメロディを採譜したジェーン・ロス歌詞をつけたフレデリック・ウェザリ-(1912)。


曲のルーツはデリー県の小さな町リマバディ。
なき人へ、はるかなるふるさとへ、親が吾が児を思い400年の月日を経て歌い継がれた名曲.。




andy williams deluxe 日本コロンビア名義から発売アルバム・1966年オムニバス盤.オリジナ ル盤は「ダニーボーイ」日本コロンビア・1961年発売。 琴線をふるわす素晴らしい名曲・・・アンディの「ダニーボーイ」の名唱を聴く事ができます。


ダニー・ボーイ・約5分
■Vol.51へリンク


■動画・ダニー・ボーイ・シリーズ・全6集完結
第1集 第2集 第3集 第4集 第5集 第6集・完

Danny Boy Ireland | Celtic Woman - Danny Boy  |  ナナ・ムスクリ | Kennedy plays




放映はアイルランドの首都ダブリンから北アイルランド・デリー県へ。
そして「ダニー・ボーイ」のルーツであるリマバディへと・・素晴らしいの一語に尽きました。


原曲とされているアイルランド民謡の「ロンドンデリーの歌」の名で知られている「ダニー・ボーイ」。


●北アイルランドの国家:「Londonderry Air」(ロンドンデリーの歌)「ダニーボーイ」のメロディーと同じ
現在は公式の北アイルランド国旗はなく、グレートブリテン連合王国のユニオンジャックが用いられている。



北アイルランドは6県(アントリム・アーマー・ダウン・ファーマナ・ロンドンデリー・ティローン)



ここはイギリス領・北アイルランドに属する地域。その中心にあのロンドンデリーとい町があること。

ロンドンデリーという呼び名はイギリス人が来た時のもので。元々はデリーという町だったこと。




番組のフィナーレを飾るのはAndyのLP画像と英詩アイルランドの美しい風景と町並み、フィドラーで盲目のジミー・マッカリ−が「ダニー・ボーイ」を弾いた場所の紹介。

1912年、ダニーボーイの歌詞をつけた弁護士のFredric E Weatherly。

そして・・このフレデリック・E・ウエザリの書いた歌詞を初めて歌ったテノール歌手のジョン・マッコーマック

作曲されたと言われる盲目のハープ奏者、ローリー・ダール・オキャハン
の土地を奪われた哀しい逸話・・。



そして美しい風景、採譜したジェーン・ロスの生家。そして海原と波打つ美し河岸線の岸壁、静かに番組は終わりをつげつる。心の琴線に触れる感動的な構成でした。何度見ても涙壺を刺激します。


特に・・・ロンドンデリーに近い「リマバディ」いう小さいな町で教師をしている「ダニー・ボーイ」に詳しい郷土史研究家のジム・ハンター氏の曲のルーツのいきさつが素晴らかった・・。


最後に、盲目のフィドラーのジミー・マッカリーの子孫であるウォレス・マッカリーのエピソードがとても悲しい。
ジミー・マッカリーは歌詞のつけられた「ダニー・ボーイ」の発表される2年前に80才で亡くなっり、墓石のない土の下で静に眠っているという・・・。

■ダニー・ボーイ・・・・・
家を出た息子・ダニーを気遣う母親の気持ちを歌う。
戦場におもむく息子を見送る悲しい母の我息子を慕う愛の歌・・。



■一人の盲目のフィドラーが奏で、一人の音楽教師が書き取ったメロディー。かけがえのないこの美しいメロディーを伝えてくれた人々に感謝の気持ちを・・・・。

この美しい名曲を「DANNY BOY」のLPに収録してくれ今も聴くことが出来るAndyにも感謝したい・・。


私的には、1966年Andyの最初に購入したLPで聞いた曲でしので、この曲に対しての思いも強いものでした。

そのごく一部を動画でご紹介させて頂きます。
放映はTBSビジョン(BS-I)2009年1月22日・1時間番組・SONG TO SOUL(番組へリンクします)

Danny Boy 動画

VOL..23へリンク
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2009年1月22日(木) 22時〜の1時間番組です。
BS−i(TBSのBS局)の「SONG TO SOUL」という音楽番組です。
放映されました。

冒頭と最後にAndyのLPジャケット(US盤)裏表が映し出され、ダニーボーイの全歌詞がでて番組は終了でした。
ダニーボーイの縁の英国のアイルランドの首都ダブリン」の風景が曲の映像としてながれ、素晴らしかったです。
美空ひばり等色々な歌手も流れ、ダニーボーイ誕生秘話が丁寧にえがかれ、きちんと取材して作られて、興味深いものでした。
この放送はBSですのでDVDには取り込めたのですが・・・デジタルですので、ガードがか、パソコンには取り込む事が出来ませんでした。画像の1部で紹介しました。

過去に、動画投稿は2本削除されました。映画カサブランカの主題歌、Andyの君住む街角(英語名が駄目な様でコンピユーターにせっとされているようです。投稿出来ませんでしたから)
■動画・ダニー・ボーイ・シリーズ・全6集完結
第1集 第2集 第3集 第4集 第5集 第6集・完






●ダニーボーイ
●ターミー
●The Twelfth Of Never
●I'm Old Fashioned
●Come To Me, Bend To Me
●シークレット・ラブ
●丘に咲くヒース
●君が忘れられない
●人ごとじゃない
●愛されたいの
●サマータイム
●ミスティー

1964年 CBSコロンビア LP




放映されたダニーボーイをモチーフに動画にしました。
ダニーボーイのもつ琴線をふるわす素晴らしいメロディラインの魔力の様な音楽価値のある、何度見ても涙壺を刺激する、番組でした。BSに感謝です。

■ダニーボーイの曲の由来・・・・ルーツはリマバディ


メロディそのものの発祥については、謎に包まれていますが・・しかしながら、こんな通説が利ます。

ローリー・ダール・オキャハンという盲目のハープ奏者が作曲したというものです。


彼は、優れたハープ奏者であり、しかも、この地方を治めた領主でもありました。

しかし、1608年にイギリスのジョージT世が彼の土地を奪ってしまいました。

オキャハンはとても哀しみました。
何世紀の間一族のものだったこの土地を失ってしまったからです。そして、彼はその嘆きを曲にかきました。

つまり・・その嘆きの歌が400年前に人々の心の琴線に触れ
いま「ダニー・ボーイ」のメロディとして、人々の琴線を震わせているのです。

                            2009/01/28 記


アンディー