第79回北軽句会 平成22年7月8日(2010年)
■玉船さんにて
兼題 二句(七夕 打ち水 雲の峰 青田) 当季雑詠 三句
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■北軽井沢・嬬恋村7月の風景
キャベツ野特集
北軽ネット用に私が作成した画像。
■魔性めくその一瞬の青稲光 |
岡村妃呂子 |
■飛び石の一つひとつに打ち水す
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■夕簾巻上げたるは風速し |
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佐々木終吉 |
■雲の峰生まれし風の膨れゆく |
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■七夕竹短冊揺らす風に彩 |
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内山 寿子 |
■目の端に梅雨の蝶いれ人待てり
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■少年の指笛透る青田風 |
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野村 明良 |
■七夕竹ランドセルの児に揺るる
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■浅間嶺の流れる雲や青田かな |
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野村弥絵子 |
■星まつり離れ住む子の幸祈る
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■七夕の風に揺れたる小さき文字 |
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林 謙一 |
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■山棲みに海鳴りめける青嵐 |
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田村 洋子 |
■早苗田の列の曲がりも五条ずつ |
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■水打って来ぬかもしれぬ人を待つ |
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滝沢 咲秀 |
■けし坊主金運といふ黒子あり
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■おくれ毛を撫ぜ過ぐ路地の青田風 |
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山田 公子
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■静寂を沼へと誘ふ蟇のこゑ |
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■愛妻の聖地に拾ふ落し文 |
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山田 邦夫 |
■打ち水の鰡背姿に下駄の音
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■いのち分けし天明の階蝉しぐれ |
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柴山つぐ子 |
■ビールの泡乾杯吾子の音頭かな
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〇八月は句会は夏休みです。当季雑詠五句 八月十一日まで 柴山まで投句して下さい。
〇気心が知れて少しずつお馴染み句会となっています。
軽井沢内山グループが当番を引き受けて下さっています。
佐々木さんが好評の美しいホームページを作ってくれています
〇継続は力です.諦めないこと。ご健吟を祈ります。つ
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橋本忍・複眼の映像から嬬恋村キャベツ野のシーンを抜粋文。
■NHK・スタジオパークに嬬恋村のキャベツ野が放映されました。
7月17日(土)14:00〜15:00(生放送)
複眼の映像から「嬬恋村・キャベツ畑のシーンを抜粋」本家・橋本忍・85歳・2006年出版素晴らしい文章なので、ご紹介いたしました。橋本忍1918年生まれ。伊丹万作に師事、黒澤明監督共作「羅生門」で脚本家と『してデビューした。「生きる」「七人の侍」の創作秘話、霧島隆三、小國英雄の役回りなど、黒澤映画の貴重な一次資料にして、日本映画を支えた名脚本家の自伝。
嬬恋村の主婦と嬬恋村観光協会の吉田さんがでていました。超簡単キャベツ料理を紹介でした。 嬬恋村のキャベツ畑も紹介されました。
■嬬恋村・キャベツ畑のシーンを抜粋
広大な高原に一面に広がるキャベツ畑だった。 なだらかなうねりでのキャベツ畑は途方もなく広がり、遙か視野の果ての吾妻川で傾斜 が切れ落ちるが、前方には、左に長野県境の四阿山系、正面にはバラギ高原の山々、右に連なる草津の白根山系から、刷毛で掃いたような白い雲が宏大な空に浮いている |
嬬恋村の集落や長野原町の町筋は谷底の吾妻川沿いのため、人家は一軒も見えない。
車を降りて道端に立つと、前方は一面のキャベツ畑、右を見ても左をみてもキャベツ畑 背後は浅間山の北斜面の裾野のキャベツ畑ーーーこの高原にあるのは、吹き渡る風とキャベツ、キャベツ、すべてがキャベツで満たされる、我が国では最大規模の群馬県嬬恋村のキャベツ畑である。
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浅間山から噴きだした溶岩溜りの鬼押出しを超えて、広域農道から北斜面の山麓へ左折 し、丘を上がった地図の上では山梨開拓の上辺りで、長女の仕事場から30分ほどの距離だが、北軽井沢では私の一番好きな場所である。 |
私は毎年、北軽井沢で夏を過ごす間に、2、3度ここへやって来るが、東京へ帰る前に必ず訪れる。
来年も体調が今より低下せず、何とか車の運転し北軽井沢へ来れるかどうかはわからず、これが見納めになるかもしれないので、最後にこの高原に風に晒され(さらされ)もう一眼だけでも見ておきたい。
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広大なキャベツ畑は、ところどころに集荷場、キャベツを集め、トラックに積み込む屋根だけの建物がある。陽射しが強い時は、車を降りてその建物の影に入ると涼しい風が吹いてくる。
浅間山の山裾を吹き渡る爽涼(そうりょう)とした高原の風・・・・それはえもいえぬ気持ちのまさに・・この世の極楽である。 |
しかし・・つくずくと思う。人間に寿命ほど分からぬものはない。この広大なキャベツ畑にお別れしても、次の年にはなんとかやってくる。そうした事がここ2、3年続いている。
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■嬬恋村のキャベツ畑
山の手線の内側の広さの3倍も有ます。
年間1億4000個の高原キャベツが出荷されています。
黒澤さんが死んでから3年過ぎ、もう4年目なのだ。病状が安定し体の調子がいくらでも 上向けば、彼と私の事を書くつもりなのに、病状は相変わらず不安定で体調も持ち直さずむしろ・・加齢とともに加わる、体力の低下はまぬがれない。
私は息を吐いてキャベツ畑を左へ見回し、正面から大俯瞰(おおふかん・高い所から見下ろす)した。続いて360度ターンして空を仰いだ。キャベツ畑も広いが、空は比べものにならない程広い。天と地はあまりにも悠遠(ゆうえん・空間的に、はるかに遠いこと)である。人間はあまりにも卑小である。 |
複眼の映像から抜粋・脚本家・橋本忍・85歳・2006年出版
素晴らしい文章なので、ご紹介いたしました。
橋本忍 1918年生まれ。伊丹万作に師事、黒澤明監督共作「羅生門」で脚本家と『してデビューした。 「生きる」「七人の侍」の創作秘話、霧島隆三、小國英雄の役回りなど、黒澤映画の貴重な 一次資料にして、日本映画を支えた名脚本家の自伝。
脚本家・橋本忍・85歳・2006年出版した。
橋本忍1918年生まれ.。
映画を目指す人のバイブルでもあります。
複眼の映像から抜粋・脚本家・橋本忍・85歳・2006年出版素晴らしい文章なので、ご紹介いたしました。橋本忍1918年生まれ。伊丹万作に師事、黒澤明監督共作「羅生門」で脚本家と『してデビューした。「生きる」「七人の侍」の創作秘話、霧島隆三、小國英雄の役回りなど、黒澤映画の貴重な一次資料にして、日本映画を支えた名脚本家の自伝。
愛妻家宣言の村・嬬恋村
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