今年の納めの句会となりました。季重なりに気をつけ歳時記をよく見る事が大事という事でした。勉強会では島崎藤村の詩を俳句にも通じるところがあると何度も大声で読んでみました。(山﨑ちづ子)
★一月の句会 一月十三日 (水)午前九時半 管理事務所
兼題 新年一般 当季雑詠二句 席題
忘年会・総会について 先月の会報でお知らせしました忘年会は新型コロナの感染拡大により安全面を考慮し中止と致しました。総会は会計報告・新役員等滞りなく終了しました。事務局長山﨑ちづ子・会計黒岩清子が引き続きつとめさせていただきます。
あらかると
俳句誌「俳壇」より抜粋
「多作をしなくてはいけない。多作は力になる。多作の中で自分でも意識してなかった様な作品ができる。それが本物なのだ。」という文章が載っていました。多作多捨で来年もがんばりましょう。(山﨑ちづ子)
冬本番を迎えます。標高千百米の高地です。雪を待つこの頃です。百九十五回目の句会「難しい言葉は使わない」足は足、青は青で。大変な年となりましたが俳句で元気をもらいました。「あるがままを人間の理屈を入れずそのまま言葉に置き換えるのです。けっして自分からものを言ってはいけません。」ある人の言葉でした。
一年間お世話になりました。どうぞよいお年をお迎え下さい。
(20.12.11.つ)
△小さなコラム・・・。
北軽井沢句会に寄せて
2020年コロナ禍で俳句会も大変な時期。
北軽井沢に産声をあげるたのが2003年10月。残念ながら資料がございません。北軽井沢に小さな俳句の火がそっと燃え始めた記念的瞬間でした。
第2回は11月21日。つぐ子主宰のご主人の英人様も参加されていました。当時会員は11名。現在が195回を迎えました。現在19名。17年の歳月が流れて行きます。今は才能に満ち溢るる会員がおられ力強く感じています。英人様は2012年まで在籍されていました。
私は北軽で20数年ペンション経営時つぐ子主宰とは良くペンションに来られてのお付き合いがありました。そんな関係で2006年第35回9月恒例の主宰宅のバーベキュウ句会(後に柴山山荘句会へと発展)に誘われたのが初参加でした。それがきっかけでHPを立ち上げ現在に至っています。
それまでの記録は手書きの句会報で現在の記録では第2回のみ残っています。リンクします。
俳句のはの字も知らずの入会でした。その頃の主宰は鎌倉の「春耕鎌倉俳句」との二足わらじでした。つぐ子主宰の先生、皆川盤水主宰の句会です。銀漢の伊那男主宰もおられました。
令和2年冬。メディアでは冬キャンプが話題に。その焚き火を見つめるだけで心安らぐブームのご時世・・。
その小さな焚き火の如く絶えず燃やし続けてきました。目に見るえない程の努力と継続力の積み重ねて小さな焚き火を消さぬように常の北軽の小さな枯れ木をくべ続け今までもその小さな火は消えずに燃え続けています。頭が下がります。
主宰は何時も「継続は力」をコンセプトに目に見えぬ小さな努力を重ねて頑張ってこられたと思います。2003年の会員は当時のメンバーは私一人になりました。ずっと見続けた句会ももうすぐ200回を迎えます。私はペンション20数年経営後、2009年には八王子へと。
2011年第92回柴山山荘句会から銀漢俳句会の小諸での日盛り句会でのお疲れの所、帰路に参加されるようになりました。銀漢俳句会が2011年発足。北軽句会のメンバーも銀漢俳句会に入会。この北軽句会のご縁で銀漢俳句会のHPも担当させていただいき10年の歳月が流れていきます。
北軽句会2012年会第100回記念には小さな冊子も出す事も出来ました。
つぐ子主宰は銀漢俳句会との懸け橋として活躍されいてます。銀漢新年会でのつぐ子主宰の存在は大きく安心感を与えてくれ会員の方からやさく声を掛けていただきました。
本当にこの17年間を振りかえると色々な事が思い出されます。小さな目に見えぬ努力と忍耐力の強さ、北軽の灯し続けた小さな炎はまだまだ燃え続く事をお祈り致します。
本当にお疲れ様でした。感謝致します。2020/12/13 記
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